作成日:2022年10月30日
作成者:長尾康生
今回は自分が3歳から住んでいたふるさと、北海道旭川市について紹介します。3歳からというのは、自分が生まれたのは静岡県の島田市ですがのちに引っ越しをして旭川に住んだからです。そのせいか自分はふるさと、地元というものがあまり分かりませんでした。なので今回のブログを通して紹介するとともに自分の地元への理解にもつなげたいです。
旭川市は北海道の中央に位置し、約32万人と北海道で第2位の人口を有する市です。名前にもある通り石狩川、忠別川などたくさんの川が流れておりそれらはアイヌ由来の面白い名前をしています。産業としては家具などの木工業やスキーなどのスポーツ、農業などがあります。また全国でも有名な旭山動物園については後で述べます。北海道といえばラーメンですが場所によって味が違い、旭川ラーメンは醤油味がおいしいです。気候は夏は30度を超える日が続き冬は氷点下20度で雪が吹き付けるという1年過ごすのも結構大変です。ちなみに1902年に旭川は国内観測史上最低気温(摂氏氷点下41.0度)を記録しています。
次にそんな旭川市の歴史を紹介します。明治2年に蝦夷地を北海道と改称され、明治23年に旭川・永山・神居の3村を設置されました。また明治1889年には上川への北京設置を建議されましたが、実施には至らず離宮予定地に上川神社が移設されました。もし離宮地となっていたら北海道一の都市になっていたかもしれません。明治24年に永山村、翌年に旭川に屯田兵が入植する。現在は旭川兵村記念館として当時の生活の様子や道具が復元されています。大正3年には旭川区、11年には旭川市となりました。(今年で施行100周年)戦争による北海道空襲を乗り越えて昭和35年「旭川冬まつり」が開催されました。昭和41年には旭川空港が開港し今では除雪体制が充実しており、大雪で閉鎖されることがほとんどありません。このような歴史があり今の旭川に至ります。
旭川に来たら絶対に行くべき場所といえば旭山動物園です!旭山動物園は1967年7月に東旭川に開園しました。入場者数は年々右肩上がりでしたが、時代の流れやエキノコックスの発生により1996年には全盛期の半分ほどまで減り廃園のうわさが流れるようになりました。しかし新市長の投資や毎年のように新施設の建設(もうじゅう館、さる山、ぺんぎん館、オランウータン舎、ほっきょくぐま館、あざらし館、くもざる・かぴばら館)をしていく度に入園者数を増やしていきました。この躍進の原因を動物園はこのように述べています。
施設造りに当たって、動物本来の行動や能力を最もよく知っている飼育展示係が、自らの発想で動物たちが快適に過ごせる環境を考えたからではないでしょうか。そして、そのことを多くの皆さんが「旭山動物園もよくやっているよ」と評価してくださったからだと思います。さらに、旭山動物園の取り組みを熱心に報道してくれる報道機関の皆様がおられたことなど、旭川の多くの皆様の支援があったればこそだと思います。
このような飼育員たちの生き物への尊重や市民の応援によりこの困難を乗り越えることが出来ました。 また当時の取材や旭山をモデルにしたテレビドラマを作られたりと園の人気はさらに上がりました。 ホッキョクグマの泳ぐ姿が見れたりまるで飛んでいるようなペンギンが見えたりと楽しいです。冬に来たならペンギンの散歩や雪国ならではの動物の珍しい姿や行動を見れます。北海道に立ち寄った際はぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
今回は自分のふるさとの旭川を紹介しました。旭川にいたときは地元の悪いところばかり気にしていてわざわざ遠い福知山に来たのもそのことがあったのですが、離れてみることで旭川の良さや歴史に興味を持つことが出来ました。全然違う地域から来た人と会話するたびにふるさとの本来の姿が見えてきた気がしました。地元にいると気づかないことも1人暮らしをしていると気づくことができると感じました。みなさんも地元ふるさとについて改めて考えてみると新しいことが発見できるかもしれません。