全国高等学校野球選手権記念大会について
2023/09/29 矢野尚輝
はじめに
今回のブログは少し前に盛り上がっていた全国高等学校野球選手権記念大会についてのブログを書いていく。
私も実際に大会4日目に現地に行き試合を生で見たのでそれも踏まえてまとめていこうと思う。
全国高等学校野球選手権記念大会の歴史
まずは、全国高等野球選手権記念大会の歴史について、全国高等野球選手権記念大会では長くなるので、ここでは夏の甲子園と称す。
- 始まりは全国中高学校優勝野球大会の名称で1915年だった。当時は甲子園球場が完成しておらず(完成予定は24年)大阪の豊中グラウンドで10校での最初の大会が行われた。
1918年はコメ騒動が起き地方大会を勝ち抜いた高校が大阪入りをしていたが、大会は中止となった。27年には、限NHK大阪放送局柄時をで実況放送を開始し、29年には甲子園球場のアルプススタンドが完成し、翌年には参加校が500を突破した。
- その後太平洋戦争が始まった41年は地方大会のみが実施され、42年からは4年間大会は中止となった。戦争が終わった1946年に大会は再開し、1947年には甲子園球場で試合をすることができた。
48年には大会名が現行の「全国高等学校野球選手権大会」に改称された。そして今も歌われている大会歌「栄冠は君に輝く」が全国募集で制定された。
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63年には、参加校数は2000を突破した。65年からはNHKがカラーテレビで中継を行った。70年代は高校野球が金属バットの登場により大きく転換した。もともとは木製バットを使っていたが初めて使用が認められた74年から、本塁打数は一気に増加傾向となった。
これは、木製に比べて金属は固いため、ボールを強くはじき返すことができ、早い打球や飛距離を伸びる打球を打ちやすくなっている。78年には参加校が3000を超え現行の49代表制が定着した。
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2001年の選抜大会から、一般選考に加え、「21世紀枠」が登場した。健康管理のの必要性により00年から延長は18回から15回に短縮、13年からは会期中に休養日が1日設けられた。03年からはベンチ入りのメンバーが16人から18人に増えた。
テレビと現地の応援の聞こえ方の違い
ここからは、実際に現地に行ってみた私がテレビで見るのと現地での応援の聞こえ方の違いについていくつか述べていく。私が訪れたのは大会4日目であり2試合目から試合を見た。
テレビで見た場合
テレビで見た場合でも攻撃のチームの応援は聞こえてくる。しかし、テレビで聞く応援と現地での応援では大きさや圧力に圧倒的な差が存在している。テレビでは、やはり野球がメインであるため、応援の声や楽器での演奏の音は小さくなっていると感じる。
現地で見た場合
現地で私は、内野席で見ており、応援席から少し離れていても音の圧力が伝わった。
応援の違い
応援といっても私には二つ存在していると感じる。それは声がメインの応援と、楽器がメインの応援である。
やはりチームによっては部員が多いチーム、少ないチームがある。声がメインのチームは基本的に部員が多いチームであり、部員の声がまとまって低い重低音が圧力となっている。部員が少ないチームでも部員だけではなく、それ以外の応援の人たちの声によって声が大きくなる。楽器は、応援歌がたくさんありそれを楽器で奏でて応援を行っている。チャンステーマは、押せ押せなので盛り上がる選曲をしているチームが多くあった。
一番の圧力と感じるもの
これらも相手チームに圧力をかけていると思うが、いちばん圧力をかけていると感じたのは球場一体での応援である。それはチャンステーマや点が入った際に見ている観客の人も一緒に手拍子などで応援することである。私も手拍子をしたが一人だけだと大きな音にならないが、会場一体が手拍子をすることでとてつもない音量になっていると実際に聞いて感じた。
まとめ
今回は、夏の甲子園の歴史と私が実際に行ってみた際に感じた応援の聞こえ方の違いについて紹介した。
テレビで試合を見るのも十分楽しむことができる、しかし、もし現地に行く機会ができるならば実際に訪ねて応援を聞いてみてほしい。各校によって応援には特徴があるので、一試合ごとに違った応援を楽しむことができると感じる。ちなみに今回聞いた私が一番おすすめの曲は「アゲアゲホイホイ」である。私もまた行く機会があれば行きたい。
参考文献
ビジュアル球史